1:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 17:20:16 ID:ke1IX2Rv0
劉表死後に荊州乗っ取らなかったから
4:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 23:36:49 ID:Q9OhHOL1O
袁紹程の人脈も名声もなきゃ、曹操程の資金力もなかったため。
6:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 04:56:51 ID:lEEs1sPf0
中原から追い出された時点でじえんど
天下は袁紹と曹操の二択しかなかったよ
7:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 05:28:41 ID:Lpyjxbp60
>>6 もし袁紹が天下とってたら100年早い八王の乱が起こってたんかな。
|
11:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 00:27:17 ID:tnb8Qkrm0
>>7 袁紹の天下だったら、劉備はその下についたのかね。
|
13:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 18:34:19 ID:sHqU/k890
>>1 曹操が河北を制覇した以降、劉備に天下統一の目なんてものはない。 呂布に徐州を乗っ取られた時点で、天祐も曹操に劣ることを示しているから 天下統一ができるとも思えないな。
>>11 劉協を廃して、帝位に推戴されてたかも? 袁紹も曹操を倒したからと言って、即日禅譲を迫るとまではいかないであろうことと 出自は怪しくとも劉協より皇叔のお墨付きを貰っていて、帝位を継がすのに適当な人材だったから
|
15:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 23:19:36 ID:tnb8Qkrm0
>>13 もしそうなったら、すごい権力争いが行われそうww 実権を握る袁紹VS劉備家臣団 袁紹死後なんか、息子たちがやらかしてますますww
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12:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 01:27:35 ID:dMd3ElKQ0
劉備は公孫サンの配下だから、顔良や文醜あたりの下につけられたかもね
16:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 01:08:08 ID:LYYSj1Uk0
現実問題として、担ぐとしたら劉虞の息子、劉和だろ。
劉璋や劉曄など身元のハッキリしてる皇族が居るのに、劉備なんか担がれる道理がない。
17:63:2009/04/19(日) 03:25:02 ID:nagbteOX0
>>16 劉虞にはきっぱり断られているから、劉和も断られる可能性が高い 199年以降記述がないことから、官途の頃にはお亡くなりになってたりしている可能性もある
劉曄は曹操の傘下、劉璋は遠く巴蜀の地
史実の劉備は、演義と異なり野心満載の人物で引き受ける算段も高く、担げばそれだけ恩も売れる (劉備がどれだけ恩に感じるか当てにならんが…、曹操なんかよりもよっぽど奸雄だからな劉備は) 道理については、元々臣下が主を廃することに道理もへったくれもないこと
懐に飛び込んできた皇叔の冠を持つ窮鳥を操るのは容易く、如何に扱うかは思うが侭 可能性ならないとは言い切れないと考える
けどまぁ、薄いか なんせ劉備は袁譚と親密な関係だから、後を袁尚に継がせたいなら障害になりかねないものな
しかし、劉備を保護した裏に実はそんな企みがあったとしたら、度重なる劉備の失態を大目に見た理由にもなる 一説として、けっこう面白い考えだと思わない?
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22:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/19(水) 03:49:59 ID:ohkmVSXZ0
三国鼎立させただけで十分頑張ったって言える
野心なけりゃ曹操か袁紹の配下くらいでおわってた
24:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 04:31:40 ID:pbnMThhC0
211年に入蜀したすぐさまに劉障を捕縛し、蜀に兵を2万程残し、一挙に漢中を抜き、
長安の韓遂らに合流する。劉備が何月に入蜀したとか、時間の問題等、いろいろあるが、ともかく劉備はこの機を逃さず迅速に動くべきだった。
ここで大胆に出れば歴史は流転したはず。
26:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 07:10:07 ID:pbnMThhC0
>>24と書くべきでした!すみませんでした!!
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30:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 02:18:16 ID:UWNbT0F30
>>24 あれでも劉璋は、蜀の民臣からの人気は高かった その劉璋を騙まし討ちの捕縛で蜀の民臣が心服するとは限らない 逆に大いに反感を買う恐れが高く、すんなりと平定できるとは限らない
次に漢中。まるで遮る者がないが如く語っているが、五斗米道の張魯は10数年もの長きに渡り漢中を支配し、 民衆からの人気の高い統治者で侮ってよい存在ではない。生半可では討伐は難しい
さらに涼州の軍閥と盟を結べるかどうかも不確定。馬超のいない劉備は涼州とのパイプを持っていないからね。 曹操の漢中侵攻において涼州を侵略される事を恐れて挙兵したのと同様に、劉備の漢中侵攻に対して涼州への侵略を恐れて挙兵しないとも限らない。
そして、荊州・益州・涼州と漢中を制していたとしても、曹魏との戦力の差はまだまだ大きい 劉備が急性に力をつければ、史実同様、孫呉も劉備の力を削るような動きに打って出てくる
反三国志の道は楽ではないよ
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31:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 04:39:34 ID:8dETg8Ne0
>>30 24~25カキコした者だけど、30さんの言う通りなんだよね。よく考え直せば。 それでも劉障は早くに始末を着けるべきだったと思うよ。血もほとんど流さず、時間も掛からなかっただろうと思うしね。
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25:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 06:39:45 ID:pbnMThhC0
>>25
後は荊州返還。蜀を手中に収めすぐさま荊南二郡を呉に譲渡し、長安と漢中、涼州を平定した所で更に荊南二郡を明け渡す。
とにかく1つ言えるのは、劉備は臨機応変でなかった事。出迎えに来た劉障を捕縛すれば、三年の月日も掛からず、何より無駄な血もなく蜀を平定できたのに。
劉備の優柔不断のせいで、張松や鳳雛ら貴重な者が死に、更に関羽の死に繋がったと言える。
全ては劉備に責がある。
29:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 18:11:02 ID:6ELkSIpgO
>>25 魯粛が劉備についてれば最強だったって事か
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32:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 04:51:12 ID:0lSrwQU40
でも、ムシロ織りで、かつ、何度も国を失いまくったのに、良く蜀とか
立てれたよ。それだけでも凄いわ。曹操にしろ、孫にしろ、先祖代々の
人脈が分厚いわ。
33:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 06:26:58 ID:JA3WXl76O
自分の部隊を守る部隊長としては有能だけど
大守として土地や土地の人の財産を守ることが
出来なかった、もしくは意思が希薄だった
だからやばくなったらすぐ逃げちゃう
コーメーがいなかった時代にそういう戦略的な行動をとれず
中原を押さえられちゃったから?
35:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 15:16:55 ID:MYJMvMgd0
そもそも劉備が群雄として一人立ちするのが赤壁後に独立してから
それ以前はずっと誰かの配下として立ち回ってる
36:
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 03:53:16 ID:j2v53PdjO
「金が」とか「人脈が」とか言うけど、劉備も別にただの筵売りだったって
わけじゃないんだよな。
祖父も父も豪族だったし、親戚に援助を受けて有名な儒学者の塾に通い
そこで公孫サンと知り合ったり、身なりを派手に着飾ったり
乗馬が趣味だったり、結構貧乏とは言えないような暮らしをしてる。
むしろ劉姓+(自称)漢室の末裔ということで色んなとこで恩恵を受けてる。
彼の苗字が「劉」じゃなかったらどうなっていたか非常に興味深い。
37:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 21:54:28 ID:d0bMcZ1j0
>>36 劉姓や皇室でそんなに恩恵は受けてないよ 明らかなのは皇帝になるときくらいだろう
|
38:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 00:21:14 ID:2VB/M8HiO
>>37 受けてるよ。つうかそれが最大の武器だった。
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40:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 08:10:52 ID:PCgP7U5x0
劉備が下手に騒乱を起さなければ、
名宰相曹操の下で、漢王朝の再統一は実現出来た。
41:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 17:01:11 ID:eobpWhagO
>>40 その場合は漢朝がその後も存続したのだろうか。
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45:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 23:52:04 ID:mxURv/TeO
劉備が曹操に帰順というか造反しなかったとしても、宿主をことごとく破滅させる寄生虫みたいな奴だから
曹操も劉協も無事では済まされなかったんじゃないか?
46:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 23:57:20 ID:pCewM5ah0
面白い意見だ。曹操が倒れ天下は麻のごとく乱れ、今こそ劉備の出番て訳だな。
49:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 12:18:26 ID:8/zoJSufO
劉備はただ宿主を破滅させるだけでなく、その混沌とした中で何故かいつもトップに立ってるからな
結果的には中央で曹操に仕えた方が上手く行っていただろう
50:
月孔雀:2010/08/19(木) 13:17:07 ID:6pGKQPXl0
曹操が「天下に英雄は、俺とお前だけだ!」って言われた時点で、
劉備は、逃げ出すしかないんかな?
73:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 20:45:12 ID:Zw4irV08O
>>50 しかし「天下に英傑は君と余のみ」ってのは、考えれば考える程凄い言葉だな
恐らく「俺はライバルを全員蹴落とし、残るはお前だけだ。そのうちお前も倒してやる」という挑戦の意味を含んでいただろう
そしてまた、当時は客分に過ぎなかった劉備がその後三国の一角を建国して実際に自分を脅やかすわけだから、曹操の人を観る眼の確かさは見事としか言いようが無い
|
83:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/08(水) 03:05:14 ID:tfsba3dK0
>>73 > しかし「天下に英傑は君と余のみ」ってのは、考えれば考える程凄い言葉だな > 恐らく「俺はライバルを全員蹴落とし、残るはお前だけだ。そのうちお前も倒してやる」という挑戦の意味を含んでいただろう この言葉は、袁紹との決戦前で、まだ、ライバルを全員蹴落としてない。 カクすら降っておらず、四方敵だらけの状態。 そして、この言葉のあとに「袁紹なんてたいしたことない」と続く。
味方してくれる者を持ち上げ、敵対する者を虚仮おろしている発言。
この流れで「お前も倒してやる」という意味が含まれているようには見えないな。 また、未来を予見しての発言とも思えない。
この後の展開を知るものからすると未来を予見した発言ととりたくなる気持ちは わからんでもないがね。
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86:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 00:37:16 ID:9dbQcNjz0
>>50 英雄は君と俺だけだ!共に天下統一の為にがんばろう! って感じじゃないよな~ 曹操と劉備が共闘したらそれはそれで面白そうな妄想ができそうだが
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87:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 10:27:47 ID:fdjdafnc0
>>86多分裏切らないかのカマをかけていったのかと思う
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51:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 15:15:03 ID:8/zoJSufO
あれって演義の創作じゃないの?
52:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 19:51:37 ID:r55wxv7DO
史実でも言ってるよ
56:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/20(金) 16:12:06 ID:wO1W63WW0
天の時に恵まれず
地の利を得られず
人の和だけでは、天下を盗るに適わず
59:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 05:57:55 ID:3J/Y/ryqQ
ほぼ徒手空拳から一国の皇帝にまで成り上がったんだ、劉備は無能では有り得ない
蜀滅亡の大きな理由は漢室再興にこだわった事で、故に無駄な外征を繰り返す羽目になった
そもそも諸葛亮のような人材は内政に専念させ、ひたすら国力増強に励むべきだった
欲をかかず、せめて漢中王となった時点での勢力保持に努めていれば命脈を長く保てただろう
61:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 13:59:23 ID:sGkVj2u40
>>59 漢室再興を謳ったからやってきた人材(孔明とか)もいるわけだし いまさら「うそでーす、すいませんでしたー」で済むことじゃないだろう それこそ内部崩壊を引き起こしてしまうだろうから残念ながら無理だと思う
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69:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 22:45:42 ID:nI7BOe3wO
劉備配下の謀臣としてはまず徐庶。その後釜がホウ統。次が法正。その次が黄権。そして孟達となる予定であった。
しかし全員が死ぬかギに投降してしまったため、畑違いの諸葛亮が軍を率いなければならなかった辺りが劉備陣営の限界と言えようか。
79:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/07(火) 16:16:18 ID:err/8iJ60
実は曹操と劉備は親友
劉備は他の武将を頼って曹操との戦いを煽り、
曹操に戦いの口実を与えて、曹操の天下取り
を手伝っていた
80:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/07(火) 19:15:36 ID:1z85k8Hy0
>>79 それでも天下取れなかったのか・・・
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81:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/07(火) 21:38:03 ID:YZckRc160
・・・単純に、曹操がいたからだろ。
82:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/08(水) 01:22:11 ID:6b0wVxShO
単純に最初期に色々短気だったのも問題だと思う。
それに起因することでもあるが、挙兵から頭角表すまでの期間が、先祖の劉邦やら同期の曹操やらに比べて遅い。
曹操でも歴代では遅いくらいなのに。
88:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 22:08:20 ID:fdjdafnc0
関羽が荊州の太守になった時、韓信の霊が乗り移ったままであるのなら劉備は天下を取れたかもしれない
105:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 13:00:29 ID:Il8kQgPE0
汝南でもう少し時間を稼いで
徐庶あたり引っ張って孫権と手を組む
それで荊州へ共同で侵攻・占領して
袁家と三方から挟み撃ち
ここまでやっても曹操倒せたかわかんないのに
汝南さっさと落とされた時点で終わったんじゃね?
106:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/28(火) 02:50:31 ID:sdscMRhp0
汝南で戦ってた頃じゃ、いくらがんばっても遅くないか?
どのくらい時間を稼ぐつもりかわからないが、いくら時間を稼いだ所で袁紹が官渡で挽回できるとは思えない。
事実、曹仁に敗れた後、再度進行したとき、進行している最中に袁紹は敗退している。
徐庶を引っ張るって、官渡の頃の話だろ?
正確な年齢はわからないが諸葛亮と同じぐらいとすれば、その頃はまだ10代後半から20代前半あたりの若造。
司馬徽の元で学んでいる最中と思われる。軍師にするには早すぎる。
さらに孫呉は、孫策が不慮の死に見舞われたばかりで対外的にどうこうできる時期ではない。
しかも、背後に曹操が控える状況では、孫呉と結んでも、軽々しく動けない。
そして、その頃の劉表配下には、黄祖が健在。孫呉と共同したとしても荊州を盗れるとは到底思えない。
劉表は低く見られる傾向にあるが、曹操すら劉表の生前は手出しを控えた相手。
袁紹の相手に忙しかったこともあるだろうが、簡単に倒せる相手であれば、官渡以後袁紹を叩く前に何らかのアクションを起こしているだろう。
軽々しく占領できると思わないほうが良い。
112:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 14:51:14 ID:YORLUYsS0
転換期は幾つかあると思うが、どれだけチャンスがあったんだろうな。
・徐州牧就任
・赤壁戦~荊州平定
・入蜀
・漢中戦
・関羽北上
113:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 08:47:58 ID:8F7F07On0
徐州牧のままだったら滅んでた
赤壁戦~荊州平定 +入蜀での戦力を維持していればな
あの呉も晋相手にかなり国を長持ちさせたんだし
114:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 17:54:39 ID:EDMtYI7nO
やっぱ成都に本拠地構えるまで時間かかりすぎた
曹操や孫権はとっくに地盤固めてるのに
115:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 22:20:10 ID:8F7F07On0
呉に荊州奪われたのは大きかったな
逆に呉はそれゆえに暴君孫皓の時代も結構命脈を長らえることができた
117:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 07:57:24 ID:0kHWvNza0
孔明が徐庶を引き止めず
ホウ統を戦死させ
呉とうまくやっていけない関羽に荊州をまかせて殺して
張飛を殺して
魏延を殺したから
121:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 04:49:44 ID:lWR/w4s10
>>117 ネタにマジスレするのもなんだが…
> 孔明が徐庶を引き止めず 儒教社会で士大夫が親を見捨てるなんて、普通はできないし、しない。 よって引き止めようがない。
> ホウ統を戦死させ ”劉備が”ならその通り。 当時、荊州にいた孔明に責任をかぶせるのは無理。
> 呉とうまくやっていけない関羽に荊州をまかせて殺して ほかに適任者がいない。 ぶっちゃけ間羽の独断専行による自滅。
> 張飛を殺して これは張飛の自業自得。
> 魏延を殺したから 演義に毒されすぎw 魏延を陥れたのは楊儀。その尻馬に乗ったのが董允と蒋琬。
こんなことグダグダ反論する以前に、曹操が河北を制した以降で 劉備が天下を統一できる可能性がそもそもないに等しい。
|
118:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 13:46:03 ID:8TYxwRdqO
張飛は違うと思うがw
孔明が居なけりゃ劉備はグランドデザインを描けず、
そのまま傭兵団として生涯を終えただろうな。
孫権の下につくか劉ショウの下につくかぐらいしか選択肢がないんじゃないか?
119:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 19:44:35 ID:2FPHuKf70
曹操の元にて徳川家康、豊臣秀吉みたいにしていれば可能性はあったかも、司馬一族の反乱が前提になりますが
120:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 04:33:38 ID:alHmoZpZO
呉と手を結んだときにそのまま巍打倒の新勢力旗揚げをすれば可能性はあった
劉備が優柔不断すぎた
関羽が殺されたときも怒りに任せて呉に進行ではなく孔明に意見を聞いていればまだよかった
124:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 15:32:13 ID:oWGXkdonO
>>120
> 呉と手を結んだときにそのまま巍打倒の新勢力旗揚げをすれば可能性はあった
そのまま呉の客将として飼い殺しされそうだなぁ
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123:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 13:05:59 ID:5hAOzuQs0
この人、間違いなく劉邦より能力は上だよね。
けど、将の将の器、人の意見を聞く術は劣る。
125:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 16:19:29 ID:EzJquAEY0
三国時代は豪傑輩出は著しい時代だったが、戦況を覆すような
大戦略家不在の時代だったからな。
126:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 22:38:51 ID:ch4m1MX80
曹操と孔明はその資質はあったと思う。
曹操は出世のツテであったはずの宦官勢力が全滅し、事実上
袁紹の傘下で一族郎党中心のしょぼい勢力から始めて、幾度もの
危機を驚異的な軍事能力で切り抜けて華北を統一した。
孔明はそのままだったら流しの傭兵隊長で終わっていたはずの
劉備をして、三国の一角にのし上げた。
あと、明確な天下統一へのグランドデザインが描けていたといえば
袁紹をおいて他に居ない。劉虞さえ帝位を受けていればあっさりと
漢を復興させて宰相にでも王にでもなっていただろう。
140:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 23:45:55 ID:U/ZJt0WpO
そもそも劉備に統一出来るチャンスなんて一度でもあったか?
呉を併合したところで華北一帯を制圧してる魏には遠く及ばないし、
地理的にも戦力的にも長安にすら遠く届かないのにどうやって統一の足掛かりを掴むんだ?
韓信みたいな規格外の名将がいれば少しは期待も出来るかも知れんが、その人材も居ないし。
141:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 01:49:32 ID:1DbsK4+O0
>>140 無理やり考えるなら徐州を譲り受けた頃ならチャンスがなかったとはいえない
徐州~官渡の戦いまでの間なら、立ち回り如何でもしかしたら? がなかったともいえない
曹操が河北を制した以降では、どんな幸運に恵まれたとしても寿命的に統一は厳しい
|
142:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 01:53:07 ID:Zm5BYjVS0
勢力が誰であっても涼州が曹操陣営におちた時に外部からの芽は無くなったしな。
143:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 09:11:42 ID:qwE+jGG/O
唯一にして最大のチャンスは徐州牧になったときだと思う
あの時点で地位だけなら曹操を超えてた(後ろ盾とかは比べものにならないが)
ただその後は立ち回り、運が悪すぎた
144:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 10:50:13 ID:d85Pf5470
徐州なんて平野は根拠地にならん
攻守共に苦労するだけだ
145:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 00:53:37 ID:lMSwexg70
>>144 そうは言っても、曹操が当時治めていた兗州だって、守りやすいって言えるほどでもないぞ?
また、孫呉のように水軍に長じ、陸軍にやや劣る軍団で、周囲に曹操軍のような陸軍に長じた勢力があるなら守り難いであろうが 北部出身で騎馬の指揮にも通じた劉備が騎馬の活かせる平野がダメだと、どこへ行ってもダメってことにならんか?
守り難いってデメリットばかりあげるが、裏を返せば攻めに転じ易いにも通じる。 元は楚の北部に当たる地。天下を狙うのにそれほどハンデを抱えた土地とも思えん。
さらに守り難いといっても、劉備統治以前に曹操の侵攻を2度も防いだ実績もあったってことも一応あげとく。
|
150:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 01:43:32 ID:kyD/2ACC0
>>145 破格の英雄陳登が鍵だな 曹操とは本人も配下もレベルが違いすぎる
|
153:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 17:30:16 ID:xpYkozZN0
>>150 曹豹を懐柔し、重く用いて徐州兵を支配下に置き 呂布を向かいいれず、陳羣の諌めを聞き、地盤の強化に努めていれば 官渡の戦いの頃では、第三の勢力としてキーパーソンになりえる存在になれただろう
将軍に万人の敵たる関張 軍師に孫呉の侵攻を防いだ陳登 宰相に法制度の整備に長じた陳羣 と、量は足りないが質は抜群 勢力を保っていれば、政戦両略に通じる田豫も帰って来たかも知れない
孫策亡き後の孫呉と結んで、袁曹の抗争を尻目に河南・江北に勢力圏を広げれば 中原に袁曹劉のプチ三国志が築けていたかも
とは、夢想が過ぎるか…
|
152:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 15:10:03 ID:dCCA0Q/B0
蜀を取った時点で、蜀は漢の一部ではなく別の国であると宣言すればよかった。
そうすれば蜀という国家の天下は統一したことになる。
154:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 22:07:03 ID:8SBvl9MFO
孫呉はどこに消えた?
155:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 00:17:19 ID:kBRa0TOD0
孫呉の劉備皇帝擁立策にのって、
内乱でのっとるしか
156:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 00:51:56 ID:eLW2Ydsz0
あの状況で擬似的に三国鼎立状態になった場合、
劉備は王号名乗るんかいな? 越王?
157:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 02:03:10 ID:99B5qSE/0
>>156 あの状況というのが徐州に割拠することをさしているとすると、 都としての適正を鑑みれば彭城に都して楚王を名乗るのが現実的かな。
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164:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 19:46:36 ID:iMp1zFsB0
あれだけ主君変えまくってるのに
行く先々で軍事担当としてそこそこ重用される劉備の不思議
世渡りの上手な呂布みたいなもんか
175:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 06:46:36 ID:2GGJT1o6O
劉備も「天はなぜ劉備を生んだだけでなく、曹操も生まれさせたのか!」とか何度も心の中で叫んだだろうな
176:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 07:13:13 ID:jXDte9ME0
曹操がいてくれないと劉備なんか活躍できないだろ
アンチ曹操ってだけで成り上がったのに
177:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 14:17:46 ID:s+yI0Pfq0
>>176 そうそう
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178:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 10:27:07 ID:mf8cCCUWO
曹操がいなければ華北は炎症の天下だろ?
劉備が炎症の大軍を相手にできるとは思えないから戦ったら殺される。
仕えても炎症は曹操以上にマメに粛正するから劉備みたいに不相応な野心を持つ奴は殺される。
179:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 02:51:54 ID:pVUqGoG90
>>178 当時の劉備なら負けると踏んだら戦わずに逃げる 仕えるに至る状況が思い浮かばないが、仮に仕えたとしても 粛清されそうになる前に逃げ出す
この逃げ出すって才能は三国一
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212:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 21:45:26 ID:rY6G8SXE0
>>178 曹操がいなかったら、袁紹側の勢力として袁術や陶謙、呂布を打ち破る役割を 誰が担えたか・・・・・・・という疑問が出て来る 袁術派と袁紹派で中原が割れていた可能性もあるんじゃないだろうか
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213:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/01(水) 02:18:27 ID:VlM5eJEU0
>>212 スレ違いにも感じるが、久しくレスがついたので返答してみる
袁紹軍には沮授がいる。 郭図の横槍も入るであろうが、袁術・陶謙・呂布では曹操ほどの脅威にはならない。 袁術、陶謙、呂布らには、負けるべくして負けた理由がある。 容易とはいえないが史実と同様にいずれ駆逐されるであろう。
第一に袁術 皇帝を僭称以降、民を省みず奢侈に溺れ、諌言を退ける昏主に成り下がった。 どう考えても勢力として維持できるはずがなく、自滅が目に見えている。 第二に陶謙 高齢だけに先が長くなく、さして脅威とは呼べる勢力になりようがない。 第三に呂布 一見、強豪に見えるかもしれないが、武力だけでは賊の類と変わりなく、脅威と呼べる勢力にはなれない。 何はともあれ、本拠地で民政に励み安定させ、税制を整えて後方から前線へ支援を送る人材が欠いては、勢力の発展は見込めない。 陳宮が補うべき所で会ったろうが、補うことができていなかった。彼は縦横家であり、宰相としての才に欠けるのだろう。
袁紹が恐れねばならぬは、内部分裂。 尚を立てるなら譚を排除せねば内乱は免れないが、紹は曹操ほど思い切ったこと(粛清など)ができないように思えるので ある程度中原が収まったら、天下統一を待たず内部抗争に明け暮れかねないな。
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180:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 10:43:05 ID:dlL4bGROO
逃げてばかりなのに名声と部下が集まってくる劉備は異常
181:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 13:39:24 ID:5K4DLAXd0
大義名分からは逃げてないからな
183:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 07:02:28 ID:BC1TqEc00
>>181 そのツケは後世返すことになったんだけどな 国力すり減らしても北伐し続けないと統率ができない体質に
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184:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 21:38:49 ID:r//3Nrur0
>>183 諸葛亮政権下ではそうだったかも知れないが 諸葛亮没後は、北伐し続けなくとも統率は取れてたよ
蒋琬の政権下では、北伐の企画は完成していたが実施されずに終り 費禕の政権下では、北伐に消極的で制限をかけていた。
北伐に囚われて国力をすり減らしたのは、大義名分にではなく姜維がだろ
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184:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 21:38:49 ID:r//3Nrur0
>>181 漢王朝と決別して独立しておいて、漢王朝復興を大義名分とするなんて 正当性の欠片もない大義名分だけどな
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185:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 21:48:47 ID:O8jZk9kB0
理想の漢王朝の復興でを目指しているのであって、
現実の漢王朝は堕落してると否定しているわけだ
劉備の行動にはそういうメタメッセージが含まれている
そしてそれ(正当性というより妥当性)はそれなりの人の支持を集めた
186:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 04:34:23 ID:PS28oJz40
>>185 冷静に考えればブレまくりなんだけどな、その主張 左将軍の位を貰っておきながら貰った相手を否定して後継自称って、やってる事は袁術と大差ないぞ まあ、民主が政権取る日本の状況を鑑みれば、劉備が上手く演出して支持を得たってことなんだろうけど 曹操は曹操で反発食らってるわけだからな
というより、そんなイデオロギーの問題は二の次だったような気もするが みんな劉備の事を「軍隊持ってる有力者」として見ていたんであって、王政復古云々は理由付けくさい
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188:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 16:56:26 ID:sIE6BZLf0
>>186の言う通り、ブレまくりの主張だなw
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189:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 17:05:45 ID:fBdu+pkn0
>>188 待て、別に一掃しちゃいないぞ曹操は。 むしろ皇帝と対立した士大夫閥に迎合し、皇帝側近と対立しただけだ。 堕落した機構自体は残ってしまっている。 正確には曹丕が禅譲を受けたことによって一掃された。
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190:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 19:19:45 ID:AuUU+hY70
>>188 判官贔屓が当時あったかは知らんが、そういう心情で票集めたんだろ 負け方・放浪の仕方が上手かったと言える 劉備はゲリラから始めた革命家、で悪くないと思うけど
>支持を集めていれば良いとの主張は、 >曹丕の簒奪も否定できなくなるが良いのか? よくわからない反論だ 世の中、曹丕派もいれば劉備派もいるってことじゃないか?
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188:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 16:56:26 ID:sIE6BZLf0
>>185 > 理想の漢王朝の復興でを目指しているのであって、 > 現実の漢王朝は堕落してると否定しているわけだ ここまでくると改革を越えて革命レベルの主張になるな しかも、曹操の改革により、漢王朝末期の堕落は一掃されている。 その主張では、曹操政権を否定できる理由にならないな。
> 劉備の行動にはそういうメタメッセージが含まれている 判官贔屓の極み 負けては放浪人生の劉備の行動を普通に考えれば そんなメタなメッセージを仕込む余裕なんかないだろう
> そしてそれ(正当性というより妥当性)はそれなりの人の支持を集めた 支持を集めていれば良いとの主張は、 曹丕の簒奪も否定できなくなるが良いのか?
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187:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 15:40:39 ID:Z1FtRaHz0
劉備と袁術は大差ないよ
前者がタイミングとか巧かっただけで
188:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 16:56:26 ID:sIE6BZLf0
>>187 袁術の場合、タイミングも悪いがそれ以上に皇帝僭称後の行いが悪すぎ
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193:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 23:11:28 ID:OR7eDLmR0
せめて劉備に韓信みたいな人材がいれば、もしくは関羽が韓信みたいな性質だったら何とかなったかもしれない
197:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 00:44:38 ID:ll877Kfy0
・本拠地を得るのが遅かった
・優秀な部下を集めて働かせる時間が足りなかった
これだけ
準備万端で望んだ漢中戦に関しては完全に曹操に競り勝ってるしな
198:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 17:40:39 ID:rGy+JVDJ0
漢中戦時は、法正や黄権みたいな人材も充実してたからね
魏軍としては、主力の騎馬や大軍の機動力を活かせなかった部分もあった
優秀な人材は、劉備の生涯通して見ると多々いると思う
本拠地が問題となると、徐州と益州の各々を得た時期を比較して、どちらが
天下統一のラストチャンスだったのかを検証する事になるのかなぁ・・・・
199:
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 23:49:42 ID:ARWo8gVF0
劉備は、劉邦と異なり、人の意見をあまり聞かない。
自分の考えと賢臣の助言とが不一致のとき、自分の考えを優先する。
それどころか、自分の意に従わない者を処罰すらしている。
そして、多くのターニングポイントで自分の考えを優先させて失敗したり、
窮地に追い込まれたりしている。
助言に従えば成功したとは限らないが、この点は主君として欠点ともいえる。
家臣の質・量では、漢の高祖・劉邦より劣るといわざるおえないが
それ以上に主君としての能力が劉邦より劣っているように思う
劉邦にできて劉備にできなかった天下統一は、そのあたりにも原因がある
ように思えてならない。
202:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 00:18:04 ID:xB595R0GO
>>199 粛清だったら劉備は三国1マシな君主じゃね?
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